プロフィール

心美のプロフィール

心理セラピスト、

はじめまして心理セラピストの心美です。

父が言うことは絶対の
家庭で育つ

・ 
私は父と母 弟と4人家族の長女として生まれました。
(私の前に母は流産しています。もし、生まれていたら私は第2子でした。)

この事は後の私の人生に
大きな影響を与える事になるとは勿論この時は知りません。

父は船乗りでしたので、数か月船に乗り、1か月程家にいる。
そして、また船に戻る。という生活でした。父が家にいる期間は、
父の言うことは絶対でした。

家の中はピリッと固められ、母は父の機嫌をとるのに
精一杯のように当時の私は感じていました。

父は一度機嫌を損ねると暴力もふるって
私たちをストレスのはけ口にしていました。
母は子供を守るのに必死だったんです。

私はそんな母を困らせてはいけないと、
弟の面倒を見たりわがままで母を困らせることのない、
いい子になっていました。

4歳のころには両親のもめ事にまで仲裁に入ることもありました。

いい子を演じた小学生時代

小学校に入学してからも、
いつも笑顔で弟の面倒もよく見るお姉ちゃん。
しっかりしてるね!
周りの大人はそう褒めてくれました。
しっかりしてる。えらいねと言われるたびに
私はその期待に応えよう。

もっともっと。ちゃんとしなきゃ。しっかりしなきゃ

と考えるようになり
本当の気持ちを言うことを封印していきました。
お母さんはお父さんから私を守ってくれてるんだから
私はしっかりとしたいい子、失敗なんて許されない 期待に応えないと

5年生になると父は船をおり毎日家にいるようになりました。
アルコールの量が増え、家の中で暴れたりギャンブルに
のめり込む時間がどんどん増えてきました。
完全な機能不全家族となり、
私たちは父の機嫌をとるために多くの時間を使うようになりました

中学校時代親戚の家にあずけられる

中学校に入ったころにはみんな疲れ果てていきました。
明日の食べ物にも不安を抱く毎日。
父はギャンブルとアルコールのため多額の借金をせおい、
子供二人を育てるのが困難になりました。

私はしばらくの間弟と離れ親戚の家に預けられることになりました

母や弟と離れて過ごすのは寂しく何度も涙を流しましたが、
母の前では元気に明るく真面目で
一生懸命な子供を演じていました。
それでも、母の幸せな姿を見ることができずに、
私はどんなに頑張っても母を幸せにはできない。
私には価値がない
自己肯定感は下がる一方でした。
そして高校に入学していじめにあい、
私は人を信用することが出来なくなりました。

ただ人の顔色を見るのは得意なので常に周りにあわせて過ごす日々。
悪循環に突入していきました。

高校卒業後すぐに働いて母を助けたい

家が大変だったこともあり卒業後は、
すぐにでも働いて家庭を助けたい。
私は働きながら看護学校に入学し、
一生懸命仕事と勉強を両立させました。
家族を支える。それだけがモチベーションとなっていきます。

学生として病院での勤務に学校、夜は深夜までアルバイトをして
学費や生活費を稼いでいました。
何かに駆り立てるようにがむしゃらに過ごしていました。
無事看護師の資格に合格し、救急外来に派遣され病院勤務一本で働くようになりますが
頑張っても頑張っても先輩の思うようには仕事ができず
完璧主義の私は出来ない自分を責め罪悪感に押しつぶされる毎日。

 

うつ病パニック摂食障害に悩まされる

ついに糸が切れてしまいます。

頑張り続けた心は限界を迎え、
うつ病を発症、そこからパニック、摂食障害を発症してしまいます。

精神科でカウンセリングや薬物治療を始めました。
でも、精神を安定させる薬は苦しみだけでなく楽しみまで消して行きました。

真っ暗な長いトンネルに絶望し、
生きていることが辛くなっていきました。
それでも「助けて」の一言は言えず、
大丈夫と言い聞かせるように過ごしていきます。
救急の現場は、体が傷つき一刻の猶予も許さない。
治療を必要とする人が運ばれて来ます。
重傷で運ばれてくると医師 看護師 病院全体で
患者さんを救うために集まり治療をします。

ただ心に傷がついていてもあまり気づいてはもらえません。
私は自分の心の緊急事態をどうにかしたいと思うようになり

28歳の時大学に入学し心理学を学ぶようになります。
心の状況を知ることで今までの症状は少しずつよくなってきました。



そして、結婚し長男を出産。すると産後うつに悩ませれることになり 
おさまっていた摂食障害が再発したんです。
心の問題は癒されただけで根本解決出来ていなかったんです。
こどもは可愛いはず。
どうしてほかのママのように子供に接してやれないんだろう。
お母さんとして、私のように苦しませたくない。
良いお母さんにならなければ。
育児本をたくさん読みました。
読めば読むほど現実とのギャップに悩み自己嫌悪。

頑張れば何とかなっていた一人の時とはまるで違う。
思い通りにならない子供にイライラをぶつけ、寝顔を見て自分を責める。
私なんかが子供を産むべきではなかった。
ちゃんと子育てをしようと思えば思うほど自分を責める悪循環に入っていきました

どんなに自分を責めていても目の前で子供はどんどん育っていく。
私はこの状況を何とかしたいと、わらにもすがる思いでカウンセリングを受けることにしました。

出産後摂食障害が再発

虐待毒親世代の連鎖をなんとかとめたい

虐待を連鎖させてはいけない。この生きずらさのバトンを子供に渡したくない。
毒親の世代間連鎖を何とかとめたい。私の代でこの生きづらさを終わりにしたい。
とにかく子供には幸せになってほしい。そう願う気持ちと、
どこかでいらだちを抑えられず私もいつか父のようにひどいことをしてしまうのではと
怖かったんです。



カウンセリングを受ける中で家族の絆が出来ました

私の不安やどうにもならない苛立ちもすべて受け止めて、寄り添ってくださったカウンセラーさんのおかげで、私の中にあった漠然とした不安や、どうにもならないイライラの思考の癖。人に頼めず抱え込んでしまう。常に人からの評価を気にしてしまう
こういった考えが過去の家庭環境からくるもので、私はアダルトチルドレンであったこと。HSPの気質があったことを知りました。
そして長女ではあったものの、母親のお腹に授かったのは2番目。私は第2子でありながらも、長女として生きていること。それが生きづらさを強めてしまうことを知りました。
こういった考えを持っているとうつ病になりやすいということ。
カウンセリングが進み少しづつ癒され自分らしく生きていく感覚を感じながら
子育てについても教えていただき、気づくと子供の育ちをそのまま見守れるようになっていきました。
思考の癖はあまりにも私の一部になっていて
自分では気づけないことがあります。現実の生きづらさや
感情のパターンも慣れ親しんで無意識に起こるので気づけないことがほとんどです。
ただ、子育てを通すと見えてくるものがあります。
自分の親が怒ってたように子供を怒ってしまったり、不安になって過干渉になってしまったり。
私は適切な人に相談ができたことで、何十年と蓋をして見ないことにしていた心の奥に触れることができました。
抑え続けてきた本当の感情に気づき
ありのままの自分を認められるようになっていきました。
その頃から薬がなくても眠れるようになり、摂食障害の症状もすっかりよくなっていました。
人生に明るい光が差し込んだようです。人はいつだって変われる。
諦めなければ人は幸せになれる。心からそう思える
心を整え、子育てを学んだことで、長男は子供らしさを取り戻し、
私たち家族に絆が生まれました。

お母さんが幸せになることが子供の幸せにつながる

私は子供たちに幸せになってほしい。幸せな大人になってほしい。
激動の時代といわれるこれからを生きる子供たちが
自分をありのまま認めながら、安心して凸凹を補いあえる社会であってほしい。

どうか、この社会がやさしさで溢れるように・・・と強く思うようになりました。
子供は大人になってほしい。子供には夢を持ってほしいです。
生きることを諦めないでほしい。
その為に私はまず、お母さんが幸せであってほしい。と願っています。
お母さんが幸せだと子供も幸せになるんです。子供の伴走をするお母さんが、
安心して子供を見守れるようにサポートしたい。
お母さんが自身がトラウマを抱えていたり、生きずらさをほおっておくと、
見えないバトンとして親から子へ。子から孫へ。世代間連鎖していきます。
子育てを学んでも幸せにはなれない。本物の絆を作り幸せになるためには、
まず、お母さんが幸せになること。
そして子供との関わりを知りそれぞれの形の絆を作って現実が変わっていくこと。
それは、子供の願いでもあるんです。こどもはお母さんの幸せのためなら
自分の人生をかけて救おうとします。もしかしたら、幼かったあなたのように・・・

諦めないで 私がお母さんの伴走者になります

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
もしかして、本当はこんな風に生きれたら。なんて思うことがあるかもしれません。
その思い諦めないで。
私たちは幸せになるために生まれてきました。このままじゃ嫌だなあ。
と思われてる方
人はいつからだって変われます。
言葉にならない声を私に聞かせてください。

お母さんが変われば子供が変わる。
子供が変われば未来が変わる。


脳科学×心理学 子育て講師カウンセラーが導きます。
あなたの世代で苦しみの連鎖終わりにしませんか?

 
30年の暗闇人生から抜け出した私が証人です。